【告知】「本の学校 出版産業シンポジウム2011in東京」のお知らせ

今年も東京国際ブックフェアで、毎年非力ながらお手伝いしているシンポジウムを行いますのでお知らせいたします。

→詳細および申し込みはこちらから

以下引用です。

<第1部 メインセッション>
シンポジウム 10:00〜11:40
○いま改めて書店について考える―本屋の機能を問い直す
コーディネーター:永江朗フリーライター
パネリスト:青山南(翻訳家)、高野明彦(国立情報学研究所)、大垣守弘(大垣書店


<第2部 分科会>
第1分科会 12:40〜14:10
○書店に求められる人材とは
コーディネーター:能勢仁(ノセ事務所)
パネリスト:佐野衛(元東京堂書店)、石塚昭生(版元ドットコム)


第2分科会 12:40〜14:10
○“近刊情報”で出版ビジネスはこう変わる
コーディネーター:星野渉(文化通信社)
パネリスト:田中淳一郎(NET21恭文堂)、友田雄介(アマゾン・ジャパン)、浴野英生(日本出版インフラセンター)


第3分科会 14:30〜16:00
○“理想の書店像”をゼロベースで考える
コーディネーター:内沼晋太郎(ブックコーディネーター)
パネリスト:草磲主税(丸善丸の内本店)、長崎健一(長崎書店)ほか


第4分科会 14:30〜16:00  共催:日本出版学会
電子図書館の現状と出版産業のこれから
コーディネーター:湯浅俊彦(立命館大学
パネリスト:沢辺均ポット出版)、金子哲弥(図書館流通センター


<第3部 懇親会>
18:00〜 北コンコースレストラン街 カフェテリア マーメイド

今年は「本の学校」の原点に返って、書店を中心としたテーマで構成いたします。皆さまのお越しをお待ちしております。

ラスベガス旅行の覚え書き(時系列)

連休中にラスベガスに行ってきたので、時系列で記します。


○4月30日
夜21時発の大韓航空9005便で成田からラスベガスへ。同日午後15時頃着。フライト時間は10時間ほど。機内食がビビンバでびっくり。でも美味しかった。2食目のおかゆは、おかゆに「お茶漬けの素」的な粉が付いていてさらにびっくりしたけど。
マッカラン空港到着後は旅行会社の案内で、バスで各ホテルへ。ホテル(フラミンゴ)に着くもガイドがもたついて部屋に入るまで1時間程度かかる。ホテル内を散策して、夕食はフラミンゴではなくコスモポリタンホテルのバフェイへ。ガイド曰く「コスモポリタンはできたばかりでまだ日本のガイドブックにも載っていないから空いていて、かつガイドブックに載るまでは評判を高めたいから美味しい」のだそう。確かに美味しかったが、その後食べたバフェイと比べると32$はコスパ的にはイマイチ。メニューも豊富だったが、全体的に肉など重いモノが多く、いわゆる「日本人のおばさま」には好まれるのかも(失礼)。
その後ミッドナイトとなった各ホテルのカジノタイムを傍観しつつ、ベラージオホテルでの噴水ショーを満喫。


○5月1日
ストリップと呼ばれるホテル街の目抜き通りを散策。が、時差ぼけか午前中は動けず。とりあえず南を目指し、ルクソールまで歩く。
ルクソールはピラミッド型のホテル。モノレールの駅にスフィンクスがいるなどぶっ飛んでいる。でもって、ルクソールで遅めの昼&早めの夕ご飯のバフェ。19$。メニューとしては前日のコスモポリタンの方が充実していたが、最低限メニューが揃っていてコスパ的にはこちらの方が良いか。別料金のアルコールもメニューがあり親切。
夜はシルク・ドゥ・ソレイユの「オー」を観賞。これもツアーで付けたので前から3番目くらい。水しぶきがかかるような席。水を使ったアクロバティック。満喫満喫。
ショーが終わって21時頃とまだ早かったのでカジノへ。10$を使ってスターウォーズのスロットをしたところ50$に。怖くなったのでそこで退散。


○5月2日
この日はグランドキャニオン観光。朝5時起き。5時半に旅行会社(ヴィジョン航空)が迎えに来る。飛行場は国際線が着いたマッカランではなく、北の方にある空港。バスで30分程度。飛行機は7時発。20人乗りと小型で揺れるかと思いきや行きはほぼ揺れず。ただ、機内が寒くて凍えそうになる。フーバーダムや「偽グランドキャニオン」ともいわれる?ウェストリム、グランドキャニオンなどを眺めて45分ほどでグランドキャニオン空港到着。ここからはバスでビューポイントに向かう。各ポイントでは45〜50分ほど時間があり、周辺を歩いたり、写真を撮ったりお土産を撮ったり。2箇所見てからグランドキャニオン空港に戻って飛行機でラスベガスへ。7時発の飛行機で、ラスベガスに12時過ぎには戻ってこられる。ビジョン航空のガイドさん曰くオススメは1泊以上してハイキングやキャンプをすることなのだそう。たしかに、見るだけなら半日でよいが、ハイキングも魅力的かも。
この日の夜はツアーでショーなどを手配していなかったので、自分たちで探す。当日のチケットを格安(ショーによる)で手に入れることができるチケットショップがあり、そこでシルク・ドゥ・ソレイユの「ラブ」とバフェイのクーポンを購入。バフェイはトレジャーアイランド。クーポンで22$が16$+2$(クーポン代)に。コスモポリタンと同じくらい美味しく、コスパ的にはこの日までで一番良いかも。
「ラブ」のショーはビートルズの音楽に合わせて悪路バティックを行うもの。「オー」ほど激しくなく、音楽との調和を楽しむ感じ。なぜか「Yesterday」で泣きそうになる。
その後、ミラージュの火山のショー(ホテル前で行われるのでベラージオの噴水やトレジャーアイランドの海賊ショーと同様タダ)を見て、思いの外迫力があったため驚く。その後、トレジャーアイランドホテル前で行われる海賊のショーを見るが、こちらは・・・。「女海賊にたぶらかされて結局みんなハッピー」っていうことなのか???
どうやらビンラディンが殺害されたらしい。というのは部屋に帰ってきてから知る。


○5月3日
終日使えるのは最終日。買い物など。ツアーでモールへのツアーもあったのだが、自分たちの足を使おうと言うことでバスなどを使う。まずはファッションショーモールへ。どこもデパートというかブティックばかりで自分たちには縁遠いか・・・。
前日「ラブ」のチケットを購入したチケットショップの別店舗で夜のショーのチケットを買う。一度買うと「VIPパス」をくれるらしく、並ばなくてもすぐに買えるのが嬉しい。ついでにお土産も調達。
その後安さで有名な?サーカスサーカスのバフェイへ。ストリップ北部はルクソールもサーカスサーカスもちょっと古き良きラスベガスという感じ。ゴージャスさはないが、言うほど悪くない。バフェイは安い分、メニューはメニューだけど、アメリカナイズされた食べ物を楽しむには良いかと。ここまでの満足度トレジャーアイランド>ルクソール>サーカスサーカス>コスモポリタンコスモポリタンが以外に普通だったんじゃないか疑惑発生。
そして、プレミアムアウトレットノースへ。南部にあるラスベガスアウトレットがプレミアムアウトレットサウスになったらしく、北にも南にもプレミアムアウトレットがあるという。確かに安く、いくつか買い物をして戻る。
夜はショー×2でまず「ダークアーサー」というマジックを見る。ホントはカッパーフィールドを見たかったんだけど、どうも4月の数日と5月の数日だけで自分たちのツアーのスケジュールとは合わなかったので。「ダークアーサー」もマジックとしては面白いんだけど、場所が・・・。場末のカジノ二階で行われていて、ガイドブックとは場所が違う! 後日談で調べたら結構な苦労人さんだったようで。でも施米なりに間近で見られたこともあり、更になんと16$という格安さもあって満喫満喫。
その後最後の夜くらいレストランにと思いきやなかなか相手無くて、パリスのバフェイに。エッフェル塔があるクレイジーなホテル。25$とそこそこ値は張るが、フランスの地方ごとの料理やデザートが充実して満足。
深夜に「ジュビリー」を見る。トップレス系のショーではあるんだけど、「なんでも脱げば良いってもんじゃないだろう」という感じ。ショーの中では一番不満。宝塚的な歌謡ショー(でトップレスの女性方が出てくる)の合間にある屈強な男達のアクロバティック系の方がまだ面白いんだけど、それはシルク・ドゥ・ソレイユと比べると格落ちでという・・・。最後の夜なので、カジノで2日目に増やした分のお金を擦ったところで終了。


○5月4日〜5月5日
最終日。14時集合だったので、遠出は出来ず。旅行会社が最終日駆け込みツアーをやっていたんだけど、今回は旅行会社にあんまり関わりたくなかったのでそれにも行かず自分たちでぶらぶらと。評判の高いバフェイの中でまだ行っていなかったプラネットハリウッドへ。11時前に行くとモーニング料金でかつランチとして並んでいるバフェイも食べられるのでお得ということを知る。で満喫。結果、プラネットハリウッド>パリス>トレジャーアイランド>>ルクソール>>>サーカスサーカス>>コスモポリタンの満足度。あくまで主観ですけど。
まだ見ていなかったホテルを見て、集合時間に。空港でなかなか飛行機が飛ばず、結局チェックイン前で1時間、滑走路の上でさらに1時間半も待つ。どうもビンラディン後のテロへの警戒でなかなか飛行許可が下りなかったんだとかで。機内食は行きに食べなかったものを食べたのだけどイマイチ。結局ビビンバにしておけってことね。日付かわって5月5日の20時半に到着のはずが、飛ばなかったことなどもって遅れに遅れ23時近くに成田着。スカイライナーはすでになく、京成線の特急(終電一本前)で慌てて帰京。でもそのかわり空港もとても空いていて(自分たちの便以外に飛行機はなかった)、帰国ラッシュに合わないだけ良かったか、と。

とまぁ、そんな感じ。まとめなおして、ある程度気付いたところなども別の記事で記したいと思います。

震災から考える「紙の本」と「電子書籍」

「マガジン航」の記事で、今回の大震災での救援や復興支援に役立つ書籍のテキストをインターネット上で無料公開する動きが紹介されている。また、講談社集英社漫画誌をネット上で無料公開する動きもある。

これらは、とても良い試みだし、特に、是非とも蓄積された専門書の知識を活用して、一日も早い復興と一人でも多くの被災者の方が救われることの祈りたい。これを機に、専門書の知識が見直され、新聞やテレビでの報道のような扇動的かつ短絡的なものではない情報の価値が高まるのならば、それは良いことだし、こういったところから、専門書のデジタル化、アーカイブ化が見直されればそれは良いことだと思う。

ただ、「だから電子書籍」と一概に言い切れるかというとそうでもないと思う。確かに復興期においては、紙などの資源不足や物流面からも紙の本が行き届かないところは多い。そもそも、今回の震災で破損したものも多いだろう。紙の本(一部紙のメディアが入ってしまっているが)の震災におけるデメリットをまとめると以下の通りだろう。


<紙の本のデメリット>
・紙、インクが震災で滞り、紙の本の供給は厳しい(⇔電子書籍ならば物理的な問題は回避しやすい)
・震災で破損してしまっている(⇔クラウド上にあるものならば、震災で破損することはない)
・絶版本の存在などによって、必要なときに必要な本が手に入らない(⇔インターネット上の文字媒体は一部を除いてサーバーダウンすることもなく「緊急時のインフラ」として機能)
・タイムラグが生じる(これはどちらかというと「新聞」等のメディアも問題だろうけれど。だからこそラジオが見直されていることも付記しておく)


だが、一方の電子書籍にも震災時には以下のようなデメリットがあると考えられる。
電子書籍のデメリット>
・通信環境が途切れ途切れのなかではテキストを見るのが精一杯
・画像や音声がついていた暁には、すぐに接続できなくなる
・電話やラジオなど「ライフライン」機能がついた端末で、電子書籍(やゲームなどのアプリ)を開く精神的余裕も電力的余裕もない
・マートフォンや電子書籍端末は1日もたない(→通信環境で言えば、Twitterは一方でスマホではなくガラケー端末からはつながりにくかった)
・そもそも被災地はそれどころじゃない(これは電子書籍のデメリット以前の問題だが)


つまりは、東京で避難所生活をしていない人が、発売が遅くなる漫画などを嘆く状況下においては電子書籍はメリットは多いが、実際の震災下においては、それどころではないだろうし、電子書籍にデメリットもあるということだろう。また、スマートフォンなどの通信機能がついていたりしてなど「生きていくために必要な情報を手に入れる手段となる端末」である場合は、限られたバッテリーの有効活用を考えるとそちらに優先されるため、むしろキンドルやリーダーのような「電子書籍専用端末」ならばそれ以外に用途がないのだから、そこから必要な書籍を手に入れることは、心理的にも可能なため、活用されるかもしれない。

結局は「紙か電子か」ではなく、「紙も電子も」なのだろう。バランスが大事ということなんじゃないでしょうか。オール電化もよくないっていうのと同じで。

草の根と“観客”の狭間で。

大学生で、議員さんのインターンをやっていたとき。障害者の方がいる病院の視察に連れて行ってもらう機会があった。

その帰り、車の中で感想を求められて、「自分が五体満足でよかった。親に感謝しなきゃ」という類の発言をしたときに、その議員はこう言った。

「でも、あなたがいつそういう障害を負うか分からないんだよ。だから、そうならなくてよかったじゃなくって、そうなったときに、それを意識しないですむ環境、そしてそういう方が少しでも幸せになれる環境を考えるっていうことが必要、それは回り回って自分のためにもなるんだから」、と。

どこかで観客になっていたのだ。

あの人達はかわいそう。でも自分たちは恵まれている。だから助けなければならない、と。

そう思うことで、少しでも「参加している」「当事者」と思えるからだ。

でもその感情は実際の当事者と自分たちの間に壁を作る。

今回の地震で、そんなことを思い出した。

あれだけ自分のオフィスが揺れて、本棚とかが崩れて、たしかに今回は「当事者」になった。自分は帰宅困難者(帰宅難民)にはならなかったけれど、周りの人がなったから、確かに「当事者」の気分にはなれた。

でもテレビで流れている本当の被災地は違う。

それどころじゃない。地獄絵図なのだから。

今回の地震ではツイッターが効果を発揮したらしい。

でもどの程度だろうか。

確かに、都内で開放された施設や交通情報については効果を発揮したのだと思う。

では東北の被災地でどこまで役に立ったのか。

東京以外でスマートフォンがそこまで普及していないという話もある。ツイッターを使っている人もたいていは首都圏など大都市圏で、年齢層も20〜40代。

いわゆるガラケーでのツイッターは接続が悪く、ほとんど使い物にならなかった。

だからこそスマートフォンでの情報収集が役に立ったとも言える。

でも、そもそも、スマートフォンは充電しないと2,3日も持たない。

自分もリツイートをした。そうすることで少しでも人の役に立つんじゃないかと思っていたのかもしれないし、他のリツイートと同じで、好奇心でメモしただけなのかもしれない。

実際、メールも電話もネットも繋がらず、ツイッターなどでしか情報を収集できなかった人もいるらしい。

でも、なにか「ごっこ」をしている気がする。

テレビで「ここはこんな惨状です」とか「奇跡の救出です」とかひたすら報道しているけど、それは明らかに被災地の人を対象にしているのではなく、被災地の外にいる“観客”に向けられているものだ。NHK教育でひたすら安否情報をやっているのをみて涙が出た。

これが現実なのだ。

自分に出来ることは少ない。だから、背伸びをして「ごっこ」をするんじゃなくって、募金をするとか、友人に「大丈夫?」ってメールするとか、さっさとテレビを消して寝て少しでも消費電力を減らすとか、頑張って仕事してその分被災地にお金が回るように稼ぐとか。

なんかもやもやしたものがある。

今回の地震で被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。一日でも早い復興をお祈りいたし、犠牲者のご冥福をお祈りいたします。

わけのわからんIT好きが入ってくるから「デジタル教科書」の議論が錯綜する

ひどい記事を見つけたのでまとめておく。

出典→進化を邪魔する社長たち -97 潜入ルポ! 公立中学校のデジタル教育に見る「電子教科書0.2」(宮脇 睦)

冒頭では

電子教科書については、ソフトバンク社長の孫正義さんも必要性を各所で説いていますが、iPadは孫さんのソフトバンクモバイルでも発売されており、私益と公益を織り交ぜる論理展開は「さすが」と唸ってしまいます。

と、「電子教科書」必要性を唱える孫をさすがと褒め称えている。

一方で、

「小中高で、学習効果を高めるデジタル教科書を100%普及させる」とありますが、学習効果を高める論拠は示されていません。学習効果が売上に直結する既存の塾がカリキュラムを電子教科書やPCに置き換えていないところに、その「学習効果」の程がわかります。

情報を与えられただけで子どもが勉強することはなく、過度な情報量は学習を迷走させます。

と、塾での実施度から「電子教科書」の効果を疑問視し、その後、「公立中学校の電子教育に潜入」として、実際のフューチャースクールなのかもわからない「電子教育」での光景をいかにもひどそうなタッチで描く。

最終的には、

そもそも、良い授業とは「板書を見せるライブ」であり、それはケーシー高峯さんの漫談のようにテーマを絞ることで興味を集中させるものです。生徒に教科書を読ませるだけの授業なら、教師など不要です。また、電子教科書のコンテンツを充実させれば、子ども達の学習意欲が高くなるというのは「大人の考えるよい子」を前提とした机上の空論で、そこから生まれるのは「電子教科書0.2」です。

として、最後に「電子はすべてを解決しない」と。これじゃあ、ここでいう「電子教科書」をどうしたら良いのか、結局何が言いたいのかよくわからない。「良い授業とは板書を見せるライブ」と言うのなら、現在実在する「指導用デジタル教科書」(東京書籍光村図書などが出している)で良いはずで、それも批判して「学習者用デジタル教科書」を推進している孫氏を賞賛するというのは矛盾している。

そもそも、電子教科書とデジタル教科書と電子教育とタームがごちゃごちゃしている。バズワードとは言え、きちんと本人の中で定義付けをした上で書いて欲しいところ。

孫をリスペクト→でも実際の電子を取り入れた教育がダメ→だから何でも電子にしようとする教育界もダメという三段論法なのだろうか。

現時点でのデジタル教科書の論点は、先行している先生が電子黒板上で提示しながら授業をする「指導用デジタル教科書」に対して、いわゆる電子書籍の流れからくる「学習者用デジタル教科書」をどう実現していくか、またそのために必要な「デジタル教科書」の要素についてどうコンセンサスを取り、またどういった効果があるのかを実証していく必要があるのだが、もう少しきちんと取材して貰いたいところ。

IT系で出版も教科書もしまいには教育もわからない人まで「デジタル教科書」にちゃちを入れるようになってきているため、事態が錯綜してしまう好例ではないか。

※補足:私自身IT系の方が電子書籍にもデジタル教科書にも絡んでくることは否定しないし、むしろそうじゃないととてもじゃないけど、ダメなんだと思う。ここで、私が許せないというか憤っているのは、ジャーナリスト(気取りの人)がよく調べないで一概に「今の現場はダメ」とステレオタイプに決めつけることである。

新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

今年も「教科書的日常」をよろしくお願いいたします。

個人的には、前回の記事にも書いたとおり、とても忙しくて、記事を書く気力も余裕もないのですが、多忙を言い訳にせず、何かを発信できればと思ってます。

もっと、電子書籍とデジタル教科書関連についてもまとめて記事を書きたいところです。

いつの間にかカウンターが2万を超えていてびっくり。

と言うことで、重ね重ねですが、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

フォトリーディングのイントロ講座を受けてきた

しばらくぶりの更新です。繁忙期真っ最中で、本を読む暇も、ブログを更新する暇もありません。

そんなわけで、もっと時間を有効に使いたいと思い、フォトリーディングのイントロ講座を受けてきました。

フォトリーディングとは、ご存じの通り、勝間和代氏が著書の中で紹介したり、神田昌典氏が日本に持ち込んだりで、ここ数年注目されている速読法のこと。厳密に言えば速読法だけではないんだろうけれど。

自分自身、『あなたもいままでの10倍速く本が読める』は以前軽く読んだことがあって、なんとなく方法論の全体像は掴んでいるつもりでした。要するに、先に全体像を掴んでから読んだ方が早いよね、目次やらを活用して予習して、その後、写真を撮るようにパラパラとめくって、その後で欲しい情報にアプローチを掛けると。

でも、そもそもそれって自己啓発本など「本を通しての言いたいことがはっきりしている、むしろタイトルや前書きに凝縮されているものが多くて、小説など流れや文脈を楽しむものには適さないし、探すことは出来ても頭に残らないんじゃないか」というのが、個人的に使いこなせていないというか、しっくり来なかったところ。

方法論としては、TOEICの長文の攻略法と似ているのかなと。あれも確か素直に文章を全部読むんじゃなくって、問題やリード文を先に読んで何を言っている文章かを掴んでから、文章自体は探すだけというアプローチだったので、探すことは出来ても、結局要約することが出来なかったり、問題を解き終わったら全て忘れる、ってのがざらなわけで。

そんなこんなで、受講してきたのですが、自分がイメージしていたことと異なることが多々あったので、以下にまとめておきたいと思う。これもアウトプットなので大事なことかと。

(1)読み方を使い分ける
意外だったのは、全ての場面においてフォトリーディングを推奨するわけではないと言うこと。この場合のフォトリーディングは、パラパラとめくる狭義の意味での行為のことを指していて、広義のフォトリーディング(つまりはフォトリーディングホールマインドシステム全体を指す)を指しているわけではない。つまり、まず「目的をもって本を読むこと」を中心にしていて、そのために普通に読むこと以外にフォトリーディング、ディッピングやスキタリングなど?の方法を使いこなしましょう、というのがメインだということ。

(2)目的を意識する
全体の流れとしては、その本から何を得たいのかなど目的を定め、集中力を高めて、目次などを見て下準備をし、フォトリーディングをして、問いかけをして復習し、その質問を使ってフィルタリングをかけながらもう一度読むなどして活性化をする、というもの。パラパラと高速にめくるフォトリーディングの場面ばかり注目されるけど、むしろ目的を意識することと、復習・活性化のプロセスの方が大事なのではないかと思う。

(3)潜在意識
あとは、潜在意識を意識的に活用するというしくみ。フォトリーディング時に高速で探すのではなく、潜在意識の方に一度インストールしてから、質問を通してピックアップするというのが根幹のようです。
潜在意識というのはすごいもので、例えば、今、部屋にいるとして目をつぶって、「黄色の物はいくつくらいあるだろう」と考えてから目を開けると、黄色い物ばっかり目に飛び込んでくる。つまりは、無意識のうちに脳が情報を処理していて、それを意識すれば取り出せると言うことらしい。脳はすごいのね。

イントロ編だったため、全体像を掴むことと、集中法などがメインで、おそらくミソであろう復習と活性化はメインの講座を受けた方が身につくのだと思う。

ただ、最後に改めて書くと、フォトリーディングは速読法というよりは、むしろ情報検索法であったり、情報活用法であったり、さらに言えば脳の活用法であって、対象として適した物とそうでないものがあるようだ。つまり、ビジネス書や自己啓発的なもの、専門書など「情報を仕入れる為の書籍」に活用すべき方法だと思う(あとは日頃の書類など)。つまり、読書自体が「目的」であったり、楽しむものは適さず、あくまで「書籍を手段として用いてそこから情報を収集する」ために活用すべき方法なのだとおもう。だから、小説を楽しみたい場合は普通にのんびりと読書をすれば良いわけで。

あとは、活用すると「本を読む」こと以外にも広がるんだとか。そのあたりは、もう一度本を読み返すなり、都合が付けば講座に参加するなりしてみようと思う。