わけのわからんIT好きが入ってくるから「デジタル教科書」の議論が錯綜する

ひどい記事を見つけたのでまとめておく。

出典→進化を邪魔する社長たち -97 潜入ルポ! 公立中学校のデジタル教育に見る「電子教科書0.2」(宮脇 睦)

冒頭では

電子教科書については、ソフトバンク社長の孫正義さんも必要性を各所で説いていますが、iPadは孫さんのソフトバンクモバイルでも発売されており、私益と公益を織り交ぜる論理展開は「さすが」と唸ってしまいます。

と、「電子教科書」必要性を唱える孫をさすがと褒め称えている。

一方で、

「小中高で、学習効果を高めるデジタル教科書を100%普及させる」とありますが、学習効果を高める論拠は示されていません。学習効果が売上に直結する既存の塾がカリキュラムを電子教科書やPCに置き換えていないところに、その「学習効果」の程がわかります。

情報を与えられただけで子どもが勉強することはなく、過度な情報量は学習を迷走させます。

と、塾での実施度から「電子教科書」の効果を疑問視し、その後、「公立中学校の電子教育に潜入」として、実際のフューチャースクールなのかもわからない「電子教育」での光景をいかにもひどそうなタッチで描く。

最終的には、

そもそも、良い授業とは「板書を見せるライブ」であり、それはケーシー高峯さんの漫談のようにテーマを絞ることで興味を集中させるものです。生徒に教科書を読ませるだけの授業なら、教師など不要です。また、電子教科書のコンテンツを充実させれば、子ども達の学習意欲が高くなるというのは「大人の考えるよい子」を前提とした机上の空論で、そこから生まれるのは「電子教科書0.2」です。

として、最後に「電子はすべてを解決しない」と。これじゃあ、ここでいう「電子教科書」をどうしたら良いのか、結局何が言いたいのかよくわからない。「良い授業とは板書を見せるライブ」と言うのなら、現在実在する「指導用デジタル教科書」(東京書籍光村図書などが出している)で良いはずで、それも批判して「学習者用デジタル教科書」を推進している孫氏を賞賛するというのは矛盾している。

そもそも、電子教科書とデジタル教科書と電子教育とタームがごちゃごちゃしている。バズワードとは言え、きちんと本人の中で定義付けをした上で書いて欲しいところ。

孫をリスペクト→でも実際の電子を取り入れた教育がダメ→だから何でも電子にしようとする教育界もダメという三段論法なのだろうか。

現時点でのデジタル教科書の論点は、先行している先生が電子黒板上で提示しながら授業をする「指導用デジタル教科書」に対して、いわゆる電子書籍の流れからくる「学習者用デジタル教科書」をどう実現していくか、またそのために必要な「デジタル教科書」の要素についてどうコンセンサスを取り、またどういった効果があるのかを実証していく必要があるのだが、もう少しきちんと取材して貰いたいところ。

IT系で出版も教科書もしまいには教育もわからない人まで「デジタル教科書」にちゃちを入れるようになってきているため、事態が錯綜してしまう好例ではないか。

※補足:私自身IT系の方が電子書籍にもデジタル教科書にも絡んでくることは否定しないし、むしろそうじゃないととてもじゃないけど、ダメなんだと思う。ここで、私が許せないというか憤っているのは、ジャーナリスト(気取りの人)がよく調べないで一概に「今の現場はダメ」とステレオタイプに決めつけることである。