カンボジア旅行備忘録

ログを見たら、去年の12月から更新していなかったらしい。うーむ、忙しかったわけだ。

そんなわけで、連休を使って、カンボジア、もといアンコールワットなどの遺跡群を旅行してきたので、とりあえず備忘録として時系列に網羅的に記しておく。いずれ整理して旅行記にしたいとは思いつつもこれまで一度も出来た試しはないんだけど、今回はどうなることやら。。。


○4月30日〜5月1日

アンコールワットがあるカンボジアには日本から直行便がない。そのため、バンコクホーチミンなどから経由してアンコール遺跡群のあるシェムリアップに行く。今回は羽田からバンコク経由のシェムリアップ。羽田発が翌5月1日の0:20発のTG661便。空港へは30日のうちに。この時間に羽田にいくのは、京急、モノレールともに空いていて快適。羽田で夕食。空港自体が24時間営業で、24時間あいている飲食店もあって便利という触れ込みだったのだが、さすがに22〜23時を過ぎると閉まるお店も多いので注意。まぁ夜中の3時とかに飛ぶ便がないんだから仕方がないんだけれども。

現地時間4:30にバンコク着。飛行時間約6時間。日本との時差は-2時間。シェムリアップへの乗り換え便のチケットを貰うカウンターが5時半にならないと空かないらしく待機。ベンチで寝たり、リクライニングのシートもあったりと、羽田より便利。本場の?レッドブルを飲む。今はこっちが亜流なんだっけ。ようは炭酸で割っていないため、リポデと同じ感じ。でもきっとカフェインはリポデよりも多いんだろうなー。

8時のPG903便でシェムリアップへ。9:10着。日本人は多くないのか空港でガイドとうちらだけに。(後日談ではあるが、どうやら、羽田バンコク便が人気らしく、アンコールに来ていた他の日本人はホーチミンなどベトナム経由が多かったよう。)この日は夕食以外は終日フリーで、かつ部屋へのチェックインが14時だったため、荷物を預けて早速市内を散策。その前に水を調達せねばと近くのスーパーに。水は500mlで$0.5〜$2。カンボジアは4000リエル=$1で、たいていはドルが出回っている。観光客だけでなく、現地の人もドルを使う。インフレだからなのか、それの方が便利だからなのか。宿の前にいるトゥクトゥクおっちゃんと交渉。紆余曲折の末、キリングフィールド、戦争博物館、文化村を回って$9ということに。

キリングフィールドはポル・ポト時代に、虐殺が行われた場所。骸骨が保管してある塔?があった。今は寺。戦争博物館は内戦時代の平気を雑然と展示している施設。軍のオフィスの隣の敷地に位置しているのが後で考えれば憎ましかったり。入場はドル$5。ガイドをしてくれた方は元少年兵というか民兵で自分らより5、6歳年上。で、内戦中に地雷を踏み足と片腕を亡くしている。早速ショックを受ける。その後文化村へ。時間は昼の13時。死ぬほど暑かった。以降の日程もツアーを使ったのだけれども、午前8〜12時頃に観光、13〜15時はホテルで休憩、15時半〜18時頃に観光というスケジュールだったんだけれど、それも納得。3〜5月がカンボジアは1年で一番暑いらしい。そして、タイとは違ってこの時期は乾期でスコールが一切ないため気温が下がらない。結構辛い。

トゥクトゥクのおっちゃんは$9の上物の客を捕まえたせいか上機嫌。他にも案内すると言うのだが疲れたため切り上げる。宿に戻りぐったり。

夕食はクメール料理。タイとどう違うと言われるとタイほど香辛料、特に唐辛子はきつくないかなという印象。そのあとナイトマーケットとパブストリートを散策。ナイトマーケットは観光用らしく、ホテルなどよりは安いけれど、結構値段設定が高め。


○5月2日
この日から遺跡観光。トムさんというガイドさん。お茶目で日本語が達者な30歳独身。宍戸開の若いときにそっくり。8:20に出発してアンコールトムへ。アンコールトムはアンコール=都市、トム=大きいなので、「巨大都市」という意味。寺ではない。日本で言えば平安京のようなもの。その一帯の中にバイヨンなどの寺や広場などがあり、そこを見学する。アンコールトムは仏教の寺。世界遺産なのに寺院の中に入れ、レリーフも間近で見られるのは良かった。が、地盤沈下などにより結構どの遺跡も年々修復が必要になっているにもかかわらず修復のペースが追いつかないのか、10年くらいしたら外から眺めるだけの遺跡も増えてくるのではとのこと。ちょっと残念。

飽くなき探求心を持つ?我々は、昼休みを使ってカンボジアの歴史講座を受ける。アンコール王朝についてがメインだが、ポル・ポトの話も。「昔はタイやベトナムカンボジアの土地だった」「タイの踊りや言語はクメールのものがタイに伝わったもので、タイに似ているのではない」など確かにプライドが高いカンボジア人だけれど、タイや中国などと違って、押し売りも激しくなく謙虚で素朴でまじめなかわいらしい一面もあると思う。そんなカンボジアでなぜポル・ポトのアレが起こったのか。

午後はアンコールワットに。その前にクッキー屋に寄る。結構買ったのだが$40。これって日本の観光地の土産とそんなに変わらない価格設定? 他の東南アジアだと空港で買わない限りは結構お手頃にお土産が買えたのだが、カンボジアは比較的“観光客価格”が多い気が。たとえばミネラルウォーターもエビアンだけ他の地元のものよりも4倍くらい(500mlで$2)したし。まぁこれは輸入だから仕方がないか。外貨獲得なのか、価格設定が下手なのか。アンコールも第3回路に昇ったり、夕日を見たりと大満足。正面付近が修復作業のため緑のビニールシートがかかっていたのがちょっと残念ではあったが。夕食はショーを見ながらクメール料理。その後フットマッサージに行ったのだが、どうも自分の施術師が見習いだったらしく、横でうちの相方に施術している師匠?にあーだこーだ言われながら、実験的にやっている感じがあって、疲労快復度は高くなかったんだけど面白かった。


○5月3日
アンコールワットでの日の出を見に、5時に出発。この日はバンテアイ・スレイ、タ・プロームを午前中に見学し、オールドマーケットを散策し、午後にタ・ケウ、バンテアイ・クディ、ニャックポアンの遺跡を見学。タ・プロームは遺跡が木の根っこに侵食されていてとても神秘的。自然の力って凄いなーと安直な感想を持つ。この日がどうも一番暑かったらしく、オールドマーケットと呼ばれる旧市場街を見学しているときは熱中症になりそうに。午後のニャックポアンあたりでようやく復活。人が少なくて良い遺跡だったかな。あんまりにも疲れたので夜にマッサージを受ける。タイ式。あれ? ちなみに本店が日本にあるらしい、ってあれ?


○5月4日
ベン・メリアを見学。結構離れているらしく半日かけて。「天空の城ラピュタ」に似ているとかなんとか。確かに崩れた遺跡の雰囲気は似ているけど、実際はモデルではないらしい。崩れた遺跡のなかをよじ登っていく(きちんとルートとしてあるところをガイドに従って行く限りでは安全)のはちょっとした探検っぽい。

午後はフリーで、夕方になったらパブストリートなどに散策に出かけようと思いきや体調が悪化。熱も下がらなくなってきたためあえなく病院に。紆余曲折の末、診断は急性胃腸炎。でも理由が思い当たらず。疲労なんだろうけど。保険に入っておいて良かった。請求額$300だもん。お土産袋になりそうなしゃれた袋に薬をいれてもらったり。結局最後の夜は薬を飲んでおとなしく寝ているのでした。


○5月5日
9:45発のPG924便でバンコクへ。バンコク14:20発のTG660で羽田へ。羽田は22:10着。が、帰国便が多いのと、羽田の国際ターミナルがあまり大きくないので荷物を受け取るところは結構混雑。でも帰国ラッシュって程ではないんだけど。飛行機に乗るだけの1日はもったいないとは思うんだけど、逆に最終日の夜に飛行機で翌朝着よりは1晩現地で寝られる分、楽しめるのかなとも思う。

まとめ。安直な感想ではあるんだけど、ポル・ポト時代を経験しているカンボジア人にとって「死」がとても身近なものだったことがうかがい知れた。あくまでガイドさんや講座の講師レベルではあるんだけど。兄弟のうち1人がポル・ポトに殺された、友達が地雷を踏んで亡くなった、などなど。国民の5分の1が短期間に殺された、内戦の地雷で亡くなったりした人がいた、というのがほんの10数年前まであったということは傷として心の中には残っているのかなと。でも、それを案外あっさりと話してくれるのは、自分が無礼にいろいろと聞いてしまったからなのかどうなのか。大変な状況だったことを考えるとよくここまで観光地として人が訪れるようになったことに驚く。ちなみに日本人に対しては友好的な様子。でも最近は韓国人が多いらしく、ハングルの看板も多く見られました。