岡田武史氏講演のまとめ

5月31日に稲門政経会の総会がありました。その中で、岡田武史サッカー日本代表監督の講演があったので、概要をまとめたいと思う。自分のメモを元に起こしたものなので、細かいところは齟齬があるかもしれないが、ニュアンスは伝わるのではないかと思う。

 最初は震災についてお話ししたい。震災当日は講演をしていた。車で家に帰るまで8時間。帰宅後居てもたってもいられなくなり、ボランティアをしている人に被災地に連れて行って貰おうと思ったが、「今の段階で行っても足手まといになる」と言われ、もどかしい日々を過ごした。


 その後、落ち着いてから被災地に行く機会があった。物資を持って行ったり、現地で子どもたちとサッカー教室をしたり。子どもたちが目を輝かせながらボールを追っているのを見たときが、大人たちが一番喜んでいた。それをみて、スポーツにも出来ることはあるんだと感じた。それはもしかしたら自分を満足させるために行ったのかもしれない。


 今回の震災で自分の価値観が変わった気がする。

 福岡伸一さんから聞いた話だが、細胞が死んで新しい細胞が生まれているが、すべてを脳が決めているわけではない。脳が一定の方向性を決めているが、細胞が他の細胞と折り合いを付けてその中で決まっていることも多い。つまり、上からのヒエラルキーでなく、横のつながりの中で折り合いを付けてなんとかしている。


 自分は指導者としては「理論的」と言われていた。理屈は確率論。だから、確率論で詰めていけば、少なくとも守備は整備することが出来る。日本代表も「近くの前、遠くの後ろ」を合い言葉にした。


 マリノスでも選手を戦術でしばって優勝した。2年目、それがイヤになって、選手たちに「おまえら好きにやって良い」と言った。そしたら開幕から4連敗。慌てて戻した。そして優勝した。そして、3年目もう一度選手たちの自主性に任せてみた。結果は中位。いままではフランスのワールドカップ以降、監督は3年サイクルでやって、1年はワールドカップの解説をやるというプランだった(笑)が、マリノスではあきらめが悪くもう1年やった。でもだめだった。途中で辞任したが、結局は身内の不幸を理由に逃げた。そのとき、指導者としての限界を感じた。


 その後、指導者として役に立つことならと片っ端から勉強した。しばらくはJリーグからのオファーも受けなかった。オシムさんが倒れた時に、家族からはやらない方が良いと言われ、最初は自分もそう考えていた。でも「挑戦したい」という思いが勝って受けた。


 自分は「指導者は空のコップに何かを入れること」だと思っていた。あるとき、教育関係の方に「教育のEducationはエデュカールという“引き出す”という意味から生まれているんだよ」と言われた。カメルーン戦前までは、叩かれて叩かれてだったが、批判され続けるといかに力のある人でも自分を守ることに意識がいってしまう。そのときは選手たちが自分たちを守るのではなく、サポーター達を絶対に見返そう、と思ってくれた。その人の持っている力を最大限引き出すことが指導者として大事なのだと思う。


 監督をする中で、試合後にミーティングでビデオを見て、それまでは「ここは○○するべきだった」と言っていた。でも、それからは、「ここは良かった」ということを言うようにした。あまり「ここはこうする」と言い過ぎると、ノッキングが起こる。代表でも「中央突破ばかりしないでサイドを使え」と言っていたら、最初はボールを持ったときに考えちゃって展開が遅くなった。そしてある程度慣れてくると今度は中央があいているにも関わらず自動的に外にはたくようになってしまった。


 南アフリカの選手たちは、自分でリスクを負ってくれる選手たちだった。だからあと1試合やらせてあげたかった。カメルーン戦後、私たちはみんな「ゾーン」に入ったとも言うべき状況になった。言わなくてもわかる、繋がっているような感覚。一種の興奮状態。


 監督の仕事は決断すること。その根拠は後付けならばいくらでもできるが、決断するときは勘。開き直ることも大切で、そのためには腹をくくらなければならない。中沢から長谷部にキャプテンを代えたときも、勘だったが、腹はすえていた。中沢が飲んでくれなければ、メンバーから外すことも考えていた。でも中沢はその翌日に長谷部をランニングの際に先頭に促し、「あとは俺たちが支えるから」と彼に言ってくれていた。


 オシムさんのあとに、就任したときに「ベスト4をめざそう」と伝え、「紙の上にワールドカップベスト4と書いて、そこから逆算して何をいつまでにしなければならないか書くように」と言ったところ、それをワールドカップ後まで忠実にしていた選手がいた。そういう選手たちが多くいたのが南アフリカのメンバーだった。うまい選手を上から23人選べばよいわけではない。


 リーダーに必要なことはたくさんあるが、要するに志高き山に向かって必死になって上っていく姿をみて人はついていくのではないだろうか。南アフリカでなんであの選手たちをベスト4まで連れて行ってやれなかったのかと考えたときに、その山が足りなかったのではないかと思った。私は根本的には自分の家族と選手とその家族が笑顔で居てくれればよいと思っていた。そこにサポーター、日本人すべてが笑顔でと思っていれば結果は違っていたのかもしれない。


 南アフリカのメンバーたちは、本当に選手たちで考え行動し、自分でリスクを負う選手たちだった。彼らはそういう「遺伝子にスイッチを入れる」環境があった。いまの若い人たちにはそういう環境がない。若い人たちが悪いのではなく、そうさせた大人たちが悪い。過保護にしすぎ、空気を読ませすぎ、考えさせずに一定の方向、答えに連れて行きがち。若い人たちの「遺伝子にスイッチを入れる」環境をつくりたいと思っている。

 批判されると自分を守るように意識が言ってしまうというのは、とても的を射た発言だと思う。知人に官僚をしている人も多いそうで、昨今の官僚批判への批判も言外に感じられたような気もする。いまのザック・ジャパンの4−2−3−1か3−4−3かの論争を見ていると、どうも「選手に答えを言い過ぎているのでは」という岡田氏の懸念も感じられた。今日のチェコ戦では多少改善されたが、この前のペルー戦を見ているとどうも選手達はノッキングに陥っているのかな、大丈夫かなと思ってしまう。とはいっても、本田圭佑などは「システム論争はよしましょう」と言っているため、南アフリカでの自主性はまだ生きているのかなと安心もする。

 壮行試合での韓国戦以降の戦術の変更の真意など突っ込みたいところもあったが(それも「経験に基づく勘」なのかもしれないなと感じたが)、全体的には彼の考え方が伺えるとても良い講演だったと思う。