日本学術会議シンポジウム「世界のグーグル化とメディア文化財の公共的保存・活用」のまとめ


 日本学術会議主催の公開講演会「世界のグーグル化とメディア文化財の公共的保存・活用」に行ってきました。
http://www.scj.go.jp/ja/event/index.html


 以下は自分なりのまとめ。あくまで個人によるまとめなので、本人の意図とは異なることもあるのでご了承を。まとめとしての側面を重視したため、感想や主観的な既述はなるべく省くようにしてます。力不足でにじみ出てしまうだろうけれど。個人的な見解は明日にでも(あんまりたいしたことは言えませんが)。


 講演会は2部構成+αで、冒頭に国立国会図書館館長の長尾真先生の基調講演「メディア文化財の公共的保全と活用」、第1部が出版についての「世界のグーグル化と出版文化の公共性」、第2部が映像に関しての「映像アーカイブとメディア文化財の活用」、最後に総括討論という構成。司会は前半が学習院大学遠藤薫先生、後半が東京大学吉見俊哉先生。


1.基調講演:国立国会図書館館長、長尾真「メディア文化財の公的保全と活用」
 長尾先生の基調講演は、タイトルの「メディア文化財の公的保全と活用」ということで、グーグルそのものから、グーグルの問題点、国立国会図書館のデジタル対策、長尾構想、そして他の文化財のデジタル保存に知識インフラの構築で締めるという流れで、出版や映像の公共化や保全をどうするのかということをグーグルの問題をきっかけにして考えるというこのシンポの構想に沿った内容。

 ちなみに長尾構想は「国立国会図書館は国立だから東京の人だけでなく、東京に来る人だけでなく、地方の人や海外の人にもデジタルコンテンツを提供したいが、かといってタダでと言うわけにはいかないので、国会図書館に来るまでの交通費分に相当する額をアクセス料として、ください。その代り出版社にも還元しますから。」っていう構想のことです。意訳すれば。


2.セッション1「世界のグーグル化と出版文化の公共性」(報告者:龍澤武、名和小太郎、ディスカッサント:長尾真、上野千鶴子
 続いてセッション1。報告1として龍澤武先生(東アジア出版人会議理事・元平凡社編集局長)の「書物の公共性を考える」。東アジア出版人会議について。そこでの議論。韓国は検索サイトが自国のものが優勢で、グーグルが入る余地はないが、それでも懸念を示している。中国は国家統制下なので「グーグルごときが・・・」という反応で、これには日本の出版社の人も面を食らった。読書する公衆。グーグル問題は私的利益の衝突では、など。

 報告2として名和小太郎先生(情報セキュリティ大学院大学特別研究員)の「著作権制度対デジタル技術」。技術者としての意見を中心に、オプトアウトなどグーグルの問題点と現行著作権制度の問題点を。現行の著作権制度(ベルヌ条約以降の)を古き革袋に、21世紀の新しい著作物やデジタルというものを新しき酒にたとえる。その上で、将来冊子体としての本は消え、書誌データなども消える。コーパスを使った分析や索引語は残り、デジタル図書館と検索エンジンが生まれるだろう、出版コストは読者ではなく著者が払う、読み方もパラグラフ読みになる、などの刺激的な予想。まとめとして、「やれることはやるというのがエンジニアの性だから、仮にグーグルがこけても第2、第3のグーグルは出てくるだろう」。

 それを受けてのディスカッション。

 長尾館長からは、国立国会図書館の予算の10%は著作権者探しに費やされ、これは膨大な負担。せめて文化庁長官裁定の基準を緩和するなどのあたらしい仕組みを作り、また著作権者データベースの構築などを述べる。

 上野千鶴子先生は「ベストセラーライターとしての意見」として、書物フェチだが、書物は伝統工芸品になってしまう危険がある。谷川俊太郎氏らの行動には違和感があり、理系では学術論文が英語でなければ取り残されるという「言語鎖国」があるが、ますます「情報鎖国」になってしまうという危機感がある。書き手としては、多くの人に読んで欲しいというのが本心で、ニューメディアは流通コストを下げることに貢献した。個人的には著作権の期間を10年にしてもかまわない。情報の公共財化は必要で、だからこそ私企業ではなく、公共事業として取り組むべき。一方で、今後もオーソリティーの付与としての編集やプロデュースとしての役割は重要視されるのでは。との意見。


3.セッション2「映像アーカイブとメディア文化財の活用」(報告者:岡島尚志、大路幹生、テッサ・モーリス・スズキ、ディスカッサント:伊藤守)
 報告1として岡島尚志先生(東京国立近代美術館フィルムセンター主幹)の「英概算の長期保存とナショナル・フィルム・アーカイブの役割」。映画を保存しているフィルムセンターの紹介と、映画フィルムを保存するとはどういうことなのかの説明。映画会社がフィルムを全て保存しているだろうというのは幻想で、実際にはそんなことはなく、日々フィルムは捨てられている。きちんとフィルムを保存すれば長期保存できる。映画を文化財としてみる場合、(1)content(内容)、(2)carrier(素材、モノ)、(3)context(文脈、環境)の3つの要素がありどれも重要。デジタルの映画はフィルムの11倍も保存にコストがかかる。とにかく、まずは「フィルムを保存する」ということが大事。

 報告2として大路幹生先生(NHK放送総局ライツ・アーカイブスセンター長)の「放送アーカイブの公共的利用について」。世界の放送アーカイブスの現状。アメリカは議会図書館が1949年からフィルムを保存していて、メディアアーカイブスやUCLAも保存公開をしている。フランスは法定納入制度がある。日本では放送番組センターとNHKアーカイブスがあり、NHKもようやく公共利用をはじめようとしていて、学術利用トライアル研究もはじめている。課題として(1)デジタルアーカイブ化、(2)公共的利用の拡大に向けた法制度(著作権法以外に放送法など)、(3)財源の確保、(4)国内外のアーカイブとの連携。

 報告3としてテッサ・モーリス・スズキ先生(オーストラリア国立大学教授)の「占領者の眼」。主に、デジタルアーカイブを使うことによってどのような知見が導き出せるのかということの例として、オーストラリアにある戦後占領期の資料の活用の報告。

 それを受けてのディスカッション。伊藤守早稲田大学教授は映像で思考するという側面が不十分だったとの指摘。岡島氏からはとにかく人が少ない、という切実な意見。


4.総括討論(全講演者+司会:遠藤薫吉見俊哉
 各講演者・パネリストからの総括を箇条書きで。
・名和先生:ヒトゲノムのときがそうだったように、技術のスピードは速い。
・長尾先生:電子教科書のように、テキストと映像、音声が組み合わさったものが出てくるはず。
・岡島先生:羅生門の復元に6000万円かかった。でもこれがオリジナルのフィルムがあればもっと安くできた、だからこそフィルムを捨てないで。
などなど。

 これを受けて遠藤薫先生のまとめ。全体としては著作権の見直し、主に権利制限については今回はコンセンサスが得られた。そして保存の重要性も認識された。でも、爆発する情報量をどうするのか、あるいは「消えることも含めての情報」「全ての情報を保存する必要は無いのではないか」という視点もあっても良いのではないか。一回性も重要視されても良いのでは、という意見。


 まとまりがあるようで、まとまっていなくてごめんなさい。